[スポーツライター] 金子 達仁
【スポーツニッポン】代表は指導者育成の場にあらず
代表監督の選考に際し、優先順位が「日本を理解しているか否か」から「有能か否か」あるいは「実績があるか否か」に変わったことを評価したい。先週のコラムではそう書いた。監督の決定が多少遅れるのは仕方がない、とも。
だが、遅れている理由に「日本人コーチを受け入れること」という条件に対する相手方のアレルギーがあるのであれば、いささか話は変わってくる。
サッカーの監督とは、孤独な職業である。そして、理解されにくい職業でもある。最善の手を尽くしても一つのミスですべてが崩壊してしまうこともあれば、愚挙に次ぐ愚挙を繰り返していても、結果だけは伴ってくれることもある。ともに戦う選手に対しても、弱みや狼狽(ろうばい)しているところを見せるわけにはいかない。うろたえている指揮官、パニックに陥っている指揮官の言葉が、選手たちの胸に届くはずもないからだ。
とはいえ、監督といえども人間である。うろたえる時、あわてる時は必ずある。そんなとき、重要になってくるのが、時に監督の愚痴の聞き役に回り、時に選手やメディアの目から監督の心理状態を隠すことのできるスタッフの存在である。たいていの場合、それは「腹心」と呼ばれるコーチの役目となる。
なぜマラドーナは代表監督を辞任したのか。ファンが望み、協会も望み、本人も望んでいたにも関(かか)わらず、監督をやめることになったのか。協会がスタッフの入れ換えを求めたからだった。自分をなだめ、支え、守ってくれた仲間の更迭が続投の条件とされたからだった。
コーチの果たす役目とは、かくも大きい。
日本サッカー協会が日本人コーチの入閣を望む気持ちはわかる。世界的名監督を招聘(しょうへい)する以上、日本人にもそのエッセンスを学ばせておきたい。今後の日本サッカーのために人材を育成したい。そういうことなのだろう。だが、異国に招かれる側の受け止め方は違う。ほとんどの人間は、スパイ、もしくは監視役を押しつけられた、と感じる。
そして、そうは感じない例外的な監督にしても、スタッフの中に赤の他人が入ることに抵抗感を覚えないはずはない。結果を求めなければならない自分の下に、勉強をしたいという立場の人間がいることにも反発を覚えるだろう。なにより、赤の他人が一人入ることによって、監督は、心休まる場を失うことにもなる。
代表は、結果を求める場であり、育成の場ではない。選手についてだけではない。指導に携わる人間についても同じことは言える。日本人コーチ育成のために、日本行きを考えた有能な人材を取り逃がすようなことがあれば、まさしく本末転倒である。
コメントなし
コメントを投稿
[スポーツライター] 金子 達仁- Tatsuhito Kaneko
- 1966年1月26日、神奈川県横浜市生まれ。法政大学社会学部を卒業後、日本スポーツ企画出版社に入社。『スマッシュ』『サッカーダイジェスト』編集部勤務を経て、95年にフリーとなる。著書に「28年目のハーフタイム」「決戦前夜」「敗因と」「泣き虫」などがある。
→記事の執筆依頼をする
新着記事
書籍紹介
目標は「言葉」にすれば、必ず実現する。ブレずに強い心で戦い続けるための習慣。成功を引き寄せる、「有言実行」のメンタル術。
彼はその端正な外見だけではない。男らしい一面をもっている。誰よりも優しい心を持っている。そして、だれよりもサッカーに対して真摯だ。
『渡り鳥シリーズ』、『仁義なき戦い』など映画に出演し、『昔の名前で出ています』、『熱き心に』といった数々のヒット曲を生んできた小林旭。金子達仁が鮮やかに描き出す一冊。
ボールを追うのは3流、フォーメーションを論じるのは2流。 では、「本当のプロ」はどこを見ているのか?今日からできる「プロの観戦術」を初公開!
“美学”と“効率”が両立されている バルセロナのサッカーの本質に迫る一冊
『心は鍛えるものではなく、整えるものだ。いかなる時も安定した心を備えることが、 常に力と結果を出せる秘訣だ。自分自身に打ち勝てない人間が、ピッチで勝てるわけがない。』











