スポーツ感動体験
幸せは一つでも多く
付き合って3年、彼がバイクレースに出場するときは、いつも憂鬱な気持ちがSさんを支配していた。転倒したら大事故につながる。
だから今まで観戦に行ったことはなかった。
彼の影響でSさんも1年半前からバイクに乗るようになったけど、レースにだけは出ないと決めている。なら、なぜ免許を取ったかというと、ツーリングというデートができるから。こうでもしないと、彼はSさんを置いて仲間とバイクで出掛けてしまうのだ。
Sさんは400ccで、彼は1000cc。はた目から見て、バランスは申し分ないと思っている。彼氏とツーリングしていると楽しくて仕方がない。だからたまに思うのだ。「このまま、もうレースに出ないと言ってくれないかな」。
彼はあるとき言った。「今度レースがあるんだけど、人数が足りないから手伝ってくんない?」
レースなんてやめてほしいし、観たくもない。ずっとそう思っていたのに、それを壊す発言をするなんて正直ショックだった。でも得意の茶目っ気顔で言われると断れない。本音では嫌だと思いながらも、結局、手伝うのだった。
Sさんはピットインのボード持ちとして彼のレースを初観戦した。
KAZE KSRパーティーレースin美浜サーキット。4時間耐久レースだ。
アマチュアといえどスピード感があるし、爆音がすごい。話すときは耳元でしゃべらないと聞こえない。こんな空間はSさんにとって心地いい場所には思えなかった。チームにいながらも心は遠くにあり、状況を俯瞰しているようだった。
彼は、自分が走らないときは仲間を応援をしたり、みんなと気さくに会話をしている。そして自分の運転が回ってくれば、バイクにまたがってコースへ飛び出していく。戻ってヘルメットを取ると、顔中汗だくだ。
「でも爽やかそう…」
「こういう表情って見たことなかったな」
Sさんの目に映る知らない彼。真剣な表情なんだけど楽しそうな彼。
「子供みたい」。
彼女になって3年、出会ってから24年。恋人であり、幼馴染みでもあるのに、今まであんなあいつを一度も見たことがなかった。彼からバイクを取り上げたら、つまらない男になりそうな気がした。
「それはできないよ」
だって、幸せじゃなくなるから。彼が幸せでないということは、私も幸せではないということ。
なぜなら2人は8月に結婚するから。幸せは一つでも多くあったほうがいいと思うから。
(滝沢康英=文)
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