[塾生]西本匡吾

  • 2010年11月7日

[特集]決断/山城高等学校サッカー部

 1993年1月、サッカー高校選手権の決勝で、京都府立山城高等学校は国見高校と戦った。後半20分、山城高校の監督である前田尚克は、石塚啓次という選手をピッチへ送り込んだ。国立競技場に詰め掛けた全ての人間が、石塚の出場に注視していた。
 Jリーグの発足もあり、日本中がサッカーに目を留めていた時代であった。マスコミは大会前から石塚に注目し、周囲はそれに徐々に反応していった。Jリーガーになるであろう高校生がいる。プロの卵がプレーする。火種が火となり燃え盛るように、石塚の注目は日本に広まり、熱を帯びていった。だが、周りの注目に反するかのように、大会中の石塚の出場機会はなかった。怪我の影響もあり、結果的には決勝戦の20分だけの出場に終わる。
 石塚のプレーを見たいけど、見れない。多くの観客にとっては、もどかしさを抱えての決勝戦であった。当然、国立競技場のグラウンドにたった石塚は、注目を浴びた。しかし、理由はプレーの魅力だけではなかった。 
 石塚の髪の毛は、茶色に染められていた。

 1990年から山城高校の監督を務める前田尚克は、大会前、石塚啓次をメンバーから外す決断を下した。
 当時、高校選手権は20人までメンバー登録が許されていた。しかし、直前になって石塚が骨折し、出場が出来ない状態となる。試合に出れない選手を帯同させても、集中力が欠けてしまう。登録変更は出来なかったため、石塚を除く19人で高校選手権に挑むつもりでいた。監督とスタッフ、そして19人の選手は新幹線で、応援をする選手達は夜行バスでの移動だった。石塚は、後者であった。
 前田は言う。
「僕は、応援のほうの行動は、全然知らんかったから。こっちはチームで動いていて、応援は別行動でしたから。僕らは新幹線で行ってましたし、泊まるところも違ってましたね。」
 しかし、石塚がいないことは、チームの技術的な面だけではなく、環境面でも大きな影響を及ぼしていた。
「ただ、何というかね、マスコミから圧力があった。なんで石塚が20人のメンバーに入ってないんだというね。今思えば、当時高校生でプロ入団ってのはあいつしかいなかった。そのチームが全国出てている。なんであいつがメンバーに入ってないんだという圧力がね。でも僕も、次のゲームが大事なので、そんなことにいちいち反応してられない。でも、メンバーに入れなければ、マスコミがわいわいと言ってくる。もうそれはね、メンバーに入れないと収まらなかったと思うんですよ。」
 高校選手権は、トーナメントであるため、一回でも負けたらそこで敗退となる。勝負で勝つということ、チーム全体のこと、「石塚がいない」という一点だけで、チームの環境を悪くしたくない。事実、他の選手は、マスコミから石塚についての質疑応答に時間を費やされることがあったという。監督として考えた末、前田は石塚をメンバーに戻した。
 一回戦に勝利した、その後である。
「他の選手にも相談してね。『今の戦い方はあいつやってないからなかな使えないんじゃないですか』って声もあったしね。でも、使うかどうかは怪我の問題もあったから。メンバーに戻すということについては、他の選手達は『僕らは3年間一緒にやってきたので、面倒見ます。今までの戦い方を伝えて、一緒に頑張りますんで』って。その次のゲームから、メンバー入れましたね。で、その時にあの状態でした。」
 二回戦から、石塚は20人のメンバーに入った。決して出場できる状態ではない。そのときから、髪の毛の色が茶色になっていたという。
「普段の練習や試合でそれをやってきたら、『お前もう帰れ』っていう話ですよ。ただ、見えないところで、いきなり来てその状態だったわけですからね。」
 当時の山城高校は、決して校則に厳しい高校ではなかった。規則はあったが、公立高校特有の自由さが存在していた。また、それは山城高校だけでない。京都の伝統ある公立高校のほとんどが同じであった。
 石塚の髪はサッカー部という枠内で見たら、珍しさはあった。しかし、山城高校の生徒としてみたとき石塚のような髪型は「学校にはいっぱいいた」のが現実であった。髪型自体の間違いを認めていないわけではない。だが、選手権において「そんなことに気を使っている暇」がなかった。事実、前田は決勝戦後の批判は「あまんじて受け入れた」のである。
 公立高校である山城高校が、約30年ぶりに国立の舞台に立った。決勝で戦うこうとができる。勝てば、日本一となる。目の前の勝負に、燃えない監督がいないはずがない。
 目の前の勝負に集中した。
 ただ、それだけだった。
 決勝戦、国立競技場には約4万の人が集まった。前田の選手への指示に、観客は一喜一憂した。歓声は、前田の耳に否応にも入り込んでくる。隣に座る人の声が、聞こえななった。
 後半20分の時点で0-2と山城高校はリード許していた。相手は優勝候補の国見高校である。このままではいけない。何もせずに、試合を終わらせるわけにはいかない。
 当初は、出場させる予定はなかった。
「決勝戦の試合前の時、石塚に足はどうだって聞いたら『痛い』と。『僕を出すんだったら、他の選手を出してくれ』と言われました。」
 しかし、最後の試合、前田は石塚を出場させた。
「ゲームに出したのは、僕の判断です。それが間違っていると言われれば、そうかもしれないし。でも僕はあの時、このゲームの流れを変えるのは、あいつしかいなかった。あいつが出ることで、もう一度チームが立ち上がれる可能性があった。勝負の世界だから、
何をしてもいいというわけではないけど、でも、やれることはやりたかった。もっと早く出せという声もあったんだけど。」
 山城高校は0-2で破れ、準優勝に終わった。
 しかし、人気は収まらない。
 帰るときのゲートは、山城高校だけ、別であった。

「あいつはプロに入ったら黒髪でしたからね。怪我のために応援を一緒にやらざるを得なかった。そういう辛さが一番強かったと思う。そういうもあって、ちょっとでもあいつは目立つようにしたんだと思う。幼い、ごく一般的な高校生が考えることですよ。」
 前田は、現在も山城高校で監督を務めている。
 部内の髪型においては、校則の範囲を規定している。高校の風土も変わり、今では茶髪の生徒は一人もいない。

[塾生]西本匡吾



コメントなし

コメントを投稿


書籍紹介

負けない自分になるための32のリーダーの習慣
澤 穂希 /幻冬舎
目標は「言葉」にすれば、必ず実現する。ブレずに強い心で戦い続けるための習慣。成功を引き寄せる、「有言実行」のメンタル術。

僕は自分が見たことしか信じない
内田 篤人/幻冬舎
彼はその端正な外見だけではない。男らしい一面をもっている。誰よりも優しい心を持っている。そして、だれよりもサッカーに対して真摯だ。

不器用なもんで。
金子 達仁 /扶桑社
『渡り鳥シリーズ』、『仁義なき戦い』など映画に出演し、『昔の名前で出ています』、『熱き心に』といった数々のヒット曲を生んできた小林旭。金子達仁が鮮やかに描き出す一冊。

サッカーの見方は1日で変えられる
木崎 伸也/東洋経済新報社
ボールを追うのは3流、フォーメーションを論じるのは2流。 では、「本当のプロ」はどこを見ているのか?今日からできる「プロの観戦術」を初公開!

バルセロナが最強なのは必然である グアルディオラが受け継いだ戦術フィロソフィー
オスカル・P・カノ・モレノ /カンゼン
 “美学”と“効率”が両立されている バルセロナのサッカーの本質に迫る一冊

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
長谷部誠/幻冬舎
『心は鍛えるものではなく、整えるものだ。いかなる時も安定した心を備えることが、 常に力と結果を出せる秘訣だ。自分自身に打ち勝てない人間が、ピッチで勝てるわけがない。』

タイアップ

オーダーメイドシリコンリストバンド BANDIA
スポーツビジネスオンライン
soccerking